ウマ娘のアニメに登場するミホノブルボンについて!どんなキャラなのか詳しくご紹介
アプリゲーム、アニメ、漫画と大人気のウマ娘。
物語に登場するウマ娘は史実の競走馬をモデルとしており、個性様々なキャラクターが登場します。
競走馬の毛色や性格、騎手の服装、レースの模様や結果などを細かく再現した物語は、賭け事としての競馬ではなくスポーツとしての熱い物語となっています。
本日はウマ娘に登場するキャラで、アニメ第2期にてトウカイテイオーのように無敗の三冠ウマ娘を目指すミホノブルボンをご紹介していきます。
【ウマ娘のアニメに登場するミホノブルボンとは?】
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参照元:https://twitter.com/
【登場アニメ】 | |
ウマ娘 プリティーダービー OVA うまよん ウマ娘 プリティーダービー Season 2 | |
【誕生日】 | 【学年/寮】 |
4月25日 | 高等部/栗東寮 |
【身長】 | 【体重】 |
160cm | 増減なし |
【スリーサイズ】 | 【声優】 |
B86/W54/H87 | 長谷川育美 |
ミホノブルボンはトレセン学園に通うウマ娘の一人です。
赤みがかった茶髪のふわっとしたロングヘアで、右耳には青いリングをつけ、頭には右サイドに大きな菱型がデザインされたシルバーのカチューシャをしています。
アニメ2期では4話から登場しており、カフェテリアでサクラバクシンオーと会話する様子が描かれています。
ここからはミホノブルボンのキャラクターについてご紹介していきます。
【サイボーグと呼ばれるウマ娘】
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序盤のミホノブルボンは感情を表に出さず、トレーナーからの指示である「三冠ウマ娘」を遂行しようとするサイボーグのようなウマ娘でした。
「マスターのご命令であれば。」「マスターの指示ですから、必ず。」
トレーナーのことはマスターと呼び、トレーナーの指示には忠実に従います。
他のトレーナーとウマ娘の関係に比べて、トレーナーの性格という理由もありますが、ドライな師弟関係のような主とサイボーグのような関係です。
また、劇中でのテレビ番組「ウマ娘大陸」では、毎日朝にトレーニングする様子が映され「努力するのは当然です。そして、勝つことも当然です。」言い切り、勝利のために努力も惜しまないことがわかります。
勝ちたいというミホノブルボンの気持ちが現れるシーンは序盤では見られません。
しかし、三冠ウマ娘目前の菊花賞でライスシャワーに負けて以降、自分の思いを言葉にするようになっていきます。
【ミホノブルボンとトレーナー】
ミホノブルボンのトレーナーは、寡黙で非情に厳しいトレーナーで、ミホノブルボンとはドライな師弟関係な二人ですが、実はお互いのことを大切に思っています。
菊花賞後にジャパンカップに向けてトレーニングをしていたミホノブルボンは、大きなケガをして入院してしまいます。
トレーナーはお見舞いに「ブルボン、お前には負担をかけすぎてしまった」と背中越しに言い、ピンクのバラとひまわりのフラワーバスケットを手渡します。
一方で退院後にトウカイテイオーと話す際に、ミホノブルボンは三冠をとれば「かつて見たことがないマスターの笑顔が見られたかもしれませんでした。」と言います。
淡々とトレーニングとレースをこなす中で、ミホノブルボンはトレーナーの笑顔が見たかったことを話します。
一見ドライながらもなかなか気持ちをストレートに伝えられないミホノブルボンとトレーナーでした。
【ミホノブルボンの走り】
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ミホノブルボンの走りは逃げです。
初のレースシーンでは4話の皐月賞を逃げ切って、勝利をあげます。
その後のダービーはアニメでは描かれていませんが、二冠となる二勝目をあげます。
そして、三冠目を目指す菊花賞では最後の直線に、逃げるミホノブルボンに内からマチカネタンホイザと外からライスシャワーが迫ります。
一瞬二人に交わされるもミホノブルボンも差し返し、マチカネタンホイザを交わしますが、ライスシャワーには届かず2着なってしまいました。
これにより、無敗の三冠ウマ娘になる夢はライスシャワーによって閉ざされてしまいました。
その後はトレーナーの期待に応えるため、もう負けないためジャパンカップに向けてトレーニングを続けます。
しかし、その焦りから大きなケガをしてしまい、レース最前線からは離れることとなってしまいます。
【ミホノブルボンとトウカイテイオー】
ミホノブルボンとトウカイテイオーは、どちらも無敗の三冠を目指すウマ娘として登場します。
トウカイテイオーは三冠目前で骨折のため、菊花賞を断念し、次に志した無敗もライバルのメジロマックイーンの勝利により夢を途絶えてしまいます。
ミホノブルボンも三冠となるはずだった菊花賞はライスシャワーに敗れ、次のレースを目指すも大きなケガを負ってしまいます。
三冠をとればミホノブルボンはトレーナーの笑顔を、トウカイテイオーはシンボリルドルフの笑顔が見れただろうと振り返ります。
二人は「ブルボン、三冠惜しかったね。」「テイオーさんこそ。」と青空を見つめます。
【逃げ切りシスターズ】
アニメ第2期では4話が初登場でしたが、OVA「BNWの誓い」でも登場しております。
ナリタタイシンをリーダーとする「チームN」のメンバーでファン感謝祭の駅伝の際にはライスシャワーと同じく第一区を走ります。
また、「うまよん」ではサイレンススズカ等と共に「逃げ切りシスターズ」というユニットを結成して、アニメ本編では見られなかったライブの様子を見ることができます。
【夢を途絶えさせた私のヒーロー】
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ライスシャワーによって夢が途絶えたミホノブルボンはその後にケガを負い、走ることをやめようと考えます。
しかし、ライスシャワーがミホノブルボンにとっての新たな走る理由となります。
唯一負けたウマ娘で自身の夢を阻んだライスシャワーを、ミホノブルボンはライバルとして、再び走ることを心に決めます。
一方ライスシャワーは、ミホノブルボンの三冠を阻んだことにより、ヒール(悪役)として世間から扱われるようになります。
菊花賞のウイニングライブでは誰もライスシャワーの勝利を願っていないと感じたため、次走の春の天皇賞で、メジロマックイーンが目指す春の天皇賞三連覇を阻んでしまうかもしれないと感じ、出走をやめると言い出します。
ライスシャワーの出走辞退について、トウカイテイオーから相談を受けていたミホノブルボンは、ライスシャワーに天皇賞(春)に出走させるべく、トウカイテイオーに協力をすることにします。
トレーナーにいつも激をいれてもらっているように自分もライスシャワーに「四の五の言わずに走りなさい!」と言いますが、ライスシャワーは「ほっておいてください」と言い逃げてしまい、上手くいかずミホノブルボンは困惑してしまいます。
サイボーグと言われていただけに、コミュニケーションには難のある一面を見せます。
その後、セグウェイに乗りながらライスシャワーをトウカイテイオーと追いかけ、夕方になる頃にようやくライスシャワーに追いつきます。
ライスシャワーはミホノブルボンに憧れて、一生懸命に走ったのにみんなから認められなかったことに怯えもう走らないと強く言います。
それでもミホノブルボンは再び「四の五の言わずに走りなさい!」と言います。
夢途絶えた中で目標となり、夢と希望を与えたライスシャワーはミホノブルボンにとってのヒーローであると心のうちをライスシャワーに話します。
そして、ミホノブルボンの本心を知ったライスシャワーは天皇賞(春)に出走することを決めます。
結果、ライスシャワーは天皇賞(春)でメジロマックイーンを下し、再びヒールとなってしまうと共に、強いウマ娘であることを証明します。
ミホノブルボンは地下馬道で戻ってくるライスシャワーを一人で待ちます。
そして、ブーイングが痛いと涙を流すライスシャワーに「誰かが勝てば誰かが負ける。ブーイングはチャレンジャーの勲章です。傷つく必要はありません。でもいつかこれが歓喜と祝福の声になりる日は必ず来ます。あなたが勝ち続ければ、きっと。だってあなたの名前はライスシャワーなんですから。」と慰めます。
そして、祝福の勝利がくるまで走り続けることを決めたライスシャワーにミホノブルボンは「それでこそ、私のヒーローです。」と伝えました。
サイボーグと言われていましたが、負けを知り、自分の本心に気づき、思いを言葉にしてライスシャワーの心を動かしたのはミホノブルボンでした。
【ミホノブルボンとライスシャワー】
アニメではお互いが目標と描かれたミホノブルボンとライスシャワーは史実でも共にレースに出走しています。
ミホノブルボンが生涯で唯一敗れた相手はライスシャワーです。
詳細は次に書く、ミホノブルボンの史実の内容にてご紹介します。
【実際にいた名馬「ミホノブルボン」】
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ミホノブルボンは史実の競走馬ミホノブルボンをモデルとしています。
アニメではサイボーグのような性格で描かれておりましたが、史実でも「サイボーグ」と呼ばれ、更には「坂路の申し子」「栗毛の超特急」という異名を持っています。
ここからは競走馬ミホノブルボンについてご紹介していきます。
【鍛え上げられた『坂路の申し子』】
ミホノブルボンは1989年に北海道の原口牧場で誕生します。
名前の由来は「ミホノ」という冠名にフランスの王朝「ブルボン朝」から名付けられました。
父馬マグニチュードは未勝利馬ながら、大種牡馬ミルジョージの代替種牡馬で、イギリスのオークスを制したアステッスロワイヤルという母馬をもちます。
母馬カツミエコーは父馬に大人気ダンディールートの代替種牡馬シャレーをもっています。
代替種牡馬とは人気種牡馬に似た血統構成の種牡馬のことを言います。
血統的には一流ではありますが、父は未勝利、母も地方競馬の下級条件下で1勝のみ、加えて母馬のカツミエコーの初仔という事もあり、ミホノブルボンは生まれた当初の評価は高くありませんでした。
小さい頃のミホノブルボンはおっとりしており、馬というよりは象のようだと言われていました。
そして1991年3歳の夏に戸山調教師に引き取られます。
ミホノブルボンは血統的には短距離場でありましたが、戸山調教師の「鍛えて強い馬を作る」という信念とクラシックでの勝利を目指し徹底的に鍛え始めます。
特に、当初できたばかりの坂路コースでのトレーニングは徹底的に行われていました。
坂路コースとは全長1085mあり高低差は32mあり3歳馬であれば1本走ればヘロヘロになります。
ミホノブルボンはスパルタの調教の結果、坂路トレーニングを終えた後でもケロッとしており、1日坂路トレーニングを4本こなすようになります。
3歳で坂路トレーニングを1日4本こなしたのはミホノブルボンが初めてと言われています。
こうして過酷なトレーニングを繰り返したミホノブルボンは、尻が4つに割れるほどマッチョで筋肉がムキムキな馬体を手に入れました。
1991年9月3歳新馬戦にてデビューをし、スタートが遅れるも勝利をあげます。
短距離で出遅れは致命的なのにも関わらず、差して勝利したミホノブルボンはその強さを見せ始めます。
その後の3歳500万以下条件戦はスタート後は2番手で走り、2着に6馬身差で勝利します。
そして朝日杯3歳ステークスでは先頭で走り、最後に伸びるヤマニンミラクルから逃げ、ハナ差で勝利します。
こうしてデビュー年は3戦3勝の成績を収め、1991年のJRA賞最優秀3歳牡馬に選出されました。
【坂路の三鬼】
当初できたばかりの坂路コースのトレーニングを積極的取り入れた戸山調教師の他にもフジキセキなどを担当した渡辺調教師、レッツゴーターキンなどを担当した橋口調教師も積極的に坂路トレーニングを行っており、この三人は「坂路の三鬼」と呼ばれていました。
また、戸山調教師はスパルタ調教師で知られていたため、調教助手はおっとりした性格のミホノブルボンがビシバシ鍛えられることをかわいそうと思っていたそうです。
【常識を覆す走り】
翌年1992年、ミホノブルボンは坂路トレーニング中に腰を捻挫したため、しばらく休養となります。
次走となるのはスプリングステークスです。
スプリングステークスでは、ミホノブルボンの他、ライスシャワーとサクラバクシンオーが出走していました。
血統から、ミホノブルボン初の1800m距離限界説が持ち上がるも、戸山調教師より「無理なら皐月賞を諦めて短距離路線を進む」という発言があり、戸山調教師はここでミホノブルボンの実力を見極めたかったのではないかと考えれます。
結果逃げの走りをみせ、2着に7馬身差をつけてミホノブルボンが勝利します。
そして、迎える皐月賞はミホノブルボン自身初の2000mのコースです。
他にライスシャワーとマチカネタンホイザが出走しています。
スタート後は好スタートを切り、3馬身のリードで走り始めます。
直線に入るも先頭に立ち、スパートをかけ、2着に2.5馬身差で勝利を上げます。
こうしてミホノブルボンは無敗のままクラシックを初制覇することとなります。
その後は日本ダービーに出走します。
ここでも自身初の2400mに血統から距離限界説があがりますが、ここでもいい意味で期待を裏切ります。
大外15番からのスタートで、好スタートを決めます。
最初の直線ですっと馬郡を抜け先頭に立ちます。
その後も先頭に立ち続け、最後の直進に入っても独走のままで2着のライスシャワーに4馬身差で圧勝します。
この時の様子は「これは強い!とてつもない強さ!」と実況されています。
血統の常識を覆し、ミホノブルボンは無敗で2冠目を手にします。
【常識を覆す】
JRAの2011年の皐月賞のCMではミホノブルボンが採用されており、ミホノブルボンについてこう語っています。
そのモンスターの名は、「ミホノブルボン」。
常識は、敵だ。
皐月賞が、来る。
ミホノブルボンの血統では短距離適性と言われていました。
競走馬の体格は遺伝的な要因が特に強いため、短距離馬の産駒は短距離場適正となり、長距離馬の産駒は長距離馬適正となります。
ミホノブルボンの父馬マグニチュードは短距離馬であった為、ミホノブルボンも短距離馬となるはずでした。
その中でどんどん走る距離を伸ばし、それに伴い勝利をあげるミホノブルボンは常識を覆す存在となっていきます。
【サイボーグ】
ミホノブルボンは戸山調教師のスパルタにより手に入れた鍛え上げられた馬体で、他の馬の存在に関係なく、機械のように正確なペースで走っていたためサイボーグと言われています。
他の馬は付いていくのがやっとでした。
【自身初の2着と引退】
ここまで7戦7勝と無敗のミホノブルボンは夏の休養を終え、菊花賞に向けて京都新聞杯に出走します。
当時の日本レコードで逃げ切り、2着のライスシャワーに1.5馬身差で勝利します。
ここまでミホノブルボンはライスシャワーと3つのレースを共に出走しており、前回のダービーでは4馬身差だったのに対し、今回の京都新聞杯では1.5馬身と迫ります。
そして迎える菊花賞にもライスシャワーは出走しています。
自身初の3000mに再び距離限界説が持ち上がりますが、シンボリルドルフ以来の無敗の三冠馬誕生に会場は期待で包まれます。
スタート後は先頭に立ったと思うと外から猛烈な勢いのキョウエイボーガンに交わされ、ミホノブルボンは2番手で走り、ライスシャワーは5番手を走ります。
最後の直線に入るとミホノブルボンが先頭になりますが、外からライスシャワー、内からマチカネタンホイザが迫り2頭にかわされ、マチカネタンホイザをさし返したもののライスシャワーには届かず、1.5馬身差で初の2着に敗れます。
この敗北は後にも先にもこれが最後であり、ミホノブルボンが唯一負けた馬がライスシャワーとなります。
その後はジャパンカップに向け調整されますが、脚部不安のため出走を回避、その後も骨膜炎、骨折と懸命に復帰を目指しますが、ついに叶わず1994年に引退を発表します。
1992年は菊花賞以降の出走はありませんでしたが、皐月賞と日本ダービーの勝利をはじめ5戦4勝のため、JRA賞の最優秀3歳牡馬に選ばれました。
種牡馬となったミホノブルボンの産駒は地方競馬では重賞勝利となるもののJRAの重賞では活躍はできませんでした。
その後は故郷のファニーフレンズファーム(旧原口牧場)に移り、2011年に種牡馬を引退し、スマイルファームに移ります。
そして2017年に老衰のため28年の生涯に幕を下ろします。
血統に恵まれず、長距離適正ではないと言われたもののその努力で作り上げた体で常識を覆し、勝利を挙げ生涯成績は8戦7勝という結果を残しました。
【戸山調教師】
ミホノブルボンを鍛えた戸山調教師は1993年5月29日に癌のため61年の生涯を閉じています。
その時ミホノブルボンは休養中でダービーを制覇して1年後でした。
亡くなる直前に書いた「鍛えて最強馬をつくる」は競馬のみならず一般社会にも通じる内容のため、発売当時はベストセラーとなりました。
また、ミホノブルボンの活躍によりその後、坂路トレーニングは人気となりました。
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アニメも史実もトレーナー・調教師との関係が色濃く刻まれた競走生活のミホノブルボンでした。
アニメのウマ娘では多くの競走馬をモデルとしているため数多くのキャラクターが登場します。
ワンシーズンでそのすべてのレースやエピソードは描かれていません。
史実を知った上でアニメを見たり、見返してみるのはいかがでしょうか。